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失敗の先にみえた光

「脳梗塞患者がフルマラソンに挑戦する」―最初からできないと決めつけて自分に蓋をするのは、その後の可能性に蓋をしていることと同じなのかもしれません。最初からできる人はいません。リハビリだってトレーニングだって、根気強くやることで、気付いたら結果がついてくるものだと信じていた千葉さんが「毎日リハビリ」を心がけて積み重ねた先に成し遂げたフルマラソン完走までの記録です。

はじめてのフルマラソン~受けた洗礼

初めてフルマラソンに挑戦する大会の数か月前から、1か月に1回は大きめのチャレンジを入れて身体の負荷をあげていくことにしました。10月、ハーフマラソン。11月、50kmウォーキング。12月、ハーフマラソン。徐々に負荷をあげてフルマラソンに備えよう、という計画でした。この3つの壁はいずれも超えることができました。「今なら成功するかもしれない」。健常な人よりも体のリスクが大きい分、自分を奮い立たせるためにも大きな自信が必要だと考えていました。脳梗塞経験者ということでただでさえ「体を大事にしてください」と言われるのに、それと逆行したことをするからには倍以上の努力と慎重さが必要だと経験上感じていました。

自信がついた私がいよいよフルマラソンに立ち向かう時が近づいて、友人のAさんには「いきなりのジャンプアップをして大丈夫?」と心配されていました。「1回は失敗した方が成長するよ」と人生経験も含め、アドバイスをもらいました。確かにそうです。「できる、できる」と突き進んだ先で壁に当たった挫折感は相当なものです。下手したら、走ること自体が嫌になってしまうかもしれない。でもその壁を乗り越えた時の達成感はまた格別なはず、と内心、わたしはどこかで一度「失敗」することを望んでいたのかもしれません。

そんな複雑な心境の中で臨んだ初のフルマラソン「ベジタブルマラソンin森林公園」の朝は霜が降りて凍り付くような寒さでした。そこに集まる「参加者」という猛者たちにちょっと怯えつつ、ウォーミングアップをしていました。この場に陸上未経験の人間が立っていいのか??わたしは中学・高校ともにソフトテニス(軟式テニス)をしていてスポーツ経験はありましたが、早く走ることは教わっていません。しかも脳梗塞患者がこんな挑戦をしていいのか。この挑戦は「リハビリの可能性を示す発表会」なんだと気持ちを奮い立たせてスタート地点に立っていました。

スタートを切り、始めは順調でした。7kmを過ぎたあたりで足指に違和感がでて、そしてそれはすぐに痛みに変わりました。またやってしまったか…この痛みはハーフマラソンを挑戦していた頃に痛めたところと同じでした。「爪下血腫(黒爪)」です。爪と指の肉の間に内出血を起こす症状です。普通はドアに指を挟んだなどの強い力がかかった場所に起こるものですが、マラソンランナーのように弱い力でも長い時間負荷がかかると内出血を起こします。特にわたしの右足は後遺症の影響で、内反で尖足なので親指に負荷が集中してしまい、爪下血腫を起こしやすいようです。ケガをしないでうまく走れるかという課題の中に、この爪下血腫も含まれていて意識をしていたので、すぐにこの症状を察知しました。でも走れなくはなかったので、痛みはあったものの走り続けましたがペースは一気に落ちました。その症状を見てしまうと走ることをやめてしまうと思ったので、足元を見ないで走り続けました。この大会参加の目的は、ハーフマラソン(21km)以上の未知の領域を体験すること、あわよくば完走するというものでした。7kmという1/6の行程で、リタイアするわけにはいかないと意地を張っていました。実際は体の異変を感じたら、すぐにリタイアした方がいいのですが…。21kmを2時間30分で通過し走り続けていきましたが周りにランナーがいなくなりました。どうやらわたしは最後尾を走っていたようです。このコースはサイクリングコースを開放して行われているので、ほとんど観客がいません。その中でも最後尾付近を走るわたし、完全な一人旅です。面白いじゃないか!これは自分自身との戦いということ。今できるところまでやりきってみよう!今までは体を大事にということで、セーブして挑戦をしていました。ここで初めて「セーフティースイッチ」を解除しました。30km、35kmと時間制限の関門をギリギリかわしました。しかし、39.5km地点の5時間30分という関門に引っかかってしまい、タイムアウト。リタイアとなりました。それがわかった瞬間、靴を脱いで右足親指を確認しました。

親指の爪が完全に真っ青になっていました。爪下血腫でした。内出血で爪が浮いている状態です。もう見てしまったので、歩くこともままならない状態になりました。靴底も異常な減り方、内反尖足の証です。そこで数10分待ってランナーを回収する車に乗り込みました。その車窓から見える景色、この状態で見たくなかったという悔しさでいっぱいになりました。でも参加目的で言えば、ここまでできたという自信になりました。40km近くまで走れるという事、ハーフマラソンの距離21kmからの40km近くまで走れる大きなジャンプアップをしました。長い時間同じ動きをし続けること5時間30分。脳梗塞患者が嫌がる同じ動きをし続けることもできるんだ、と証明ができました。そして、もうちょっと頑張ればフルマラソンを完走できるということも証明できました。悔しさをバネにして大きく成長する、このことをAさんは伝えたかったのかもしれません。

失敗をしたからこそ次の課題が見つかる。これは脳梗塞患者ならずとも、万人に通ずることだと思います。このタイミングで失敗できて、うれしい気持ちの比率が大きいです。、というのが正直なところでした。

フルマラソン完走までのステップ・バイ・ステップ

実は、この大会から2か月後にも別の大会のフルマラソンにエントリーをしていましたが棄権しました。大会が近い練習中につま先を痛めてしまい、接骨院の先生にしばらく走ってはいけないと告げられたからです。診断としては、「中足骨疲労骨折」の手前でした。手前ということで、骨にヒビは入っていません。その診断を受けた時に、隠れて大会に参加しようかというという悪魔のささやきが生まれました。大会数日前にじっくり考えてみました。この前の挑戦で40km近くまで走れて、今度やろうとしている大会の制限時間はやさしい設定。次は確実に完走できそうである。一方でこの足の痛みでの参加は、危ない橋を渡っているのと同じということ。参加しない方がいい。この葛藤に悩まされていましたが、しばらく考えて答えが出ました。何を急いでいるんだ?ケガをひどくして走ることができなくなったら元も子もないんじゃないか。挑戦することはこれから何度もできる、そっちに希望を持っていけばいい。ここでは「無理」をするな。次の挑戦に持ち越そう!

次を見据えて、数日後の大会はいさぎよく諦めました。ここでつぶれるわけにはいきませんので。それから4か月後の7月の猛暑日、所沢航空記念公園にわたしは立っていました。『所沢8時間耐久レース』はちょっと変わったタイプの大会で8時間以内に周回コースを何周するかを計る「耐久レース」となります。途中で休憩を入れるのも計測ストップも自由な大会です。自分のペースで進められるというのがこの大会のいい所です。今までの大会はタイム制限があり、どうしても無理が出てしまいましたがこの大会では心にゆとりをもってチャレンジできます。また、公園の周回コースということで、水飲み場がたくさんあります。このことが非常に大事なポイントとなります。

脳梗塞の危険リスクの一つに「体の脱水」があります。給水所は3kmの周回ごとにありますが、それだけでは足りないと判断し公園内に多数設置してある水飲み場もフル活用するつもりで臨みました。走る時は、車を洗う洗車スポンジに水を含ませて持ち、体が熱くなってきつくなってきたらスポンジを体に当てて含んだ水を放出し体を冷やしました。たとえるなら「水冷エンジン」です。ラジエーターで冷やされた冷却水を循環させることで、エンジンの過熱を防ぐ。この発想もトラックドライバーをやっていたからこそだと思います。

午前9:00、梅雨の中休みの30度近い中で大会はスタートしましたが1km走ったところで体の冷却作業が必要でした。その後も、3km周回コースの中で、1~2回のペースで水飲み場を使っての体の冷却をしながらのランです。正午過ぎには休憩時間を増やして、日陰は軽く走って日なたは割り切って歩くことに専念しました。15:00、猛暑の時間を見事に乗り切ることができました。そのころコースの途中で座りこんでいるランナーがいました。明らかに熱でのぼせている感じでしたので、水を含ませたばかりのスポンジを渡して応急救護ができ、自分の工夫が他の人の役にも立てたことで嬉しくなりました。

最後の一周、走っているうちに気持ちが高ぶってきました。今では脳梗塞を発症する前よりアグレッシブに行動して、健常な頃よりもすごいことをやり遂げようとしているのですから。改めて振り返れば、意識が戻って目を覚ましたときは、マイナスばかりしか考えられなかったのですが、「可能性」という言葉をずっと信じてきました。家族の協力・職場の協力があって、リハビリを進めるにつれ、できることが一つ、また一つと増えていき、それとともに自信も増していきました。その結果、こうして8時間走り抜けようとしている…今回は走りながら泣いてしまいました。全身びしょ濡れだったので、だれも涙を流しているとはわかっていないようでしたので男泣きにはふさわしかったのかもしれません。そして、ゴールしました!

所沢耐久レース2016(42.198km:7時間42分21秒) 所沢耐久レース2016(42.198km:7時間42分21秒)

決戦はさいたま国際マラソンで。夢にまで見たフルマラソン完走の瞬間!

夏の挑戦から約4か月後の11月、埼玉スーパーアリーナにわたしはいました。「さいたま国際マラソン」、この大会に照準を絞って1月の失敗から約10カ月、コツコツと経験と自信を積んできました。この前の挑戦は「時間走」、時間内なら休憩しても昼寝してもいい自分本位で進めていける大会でした。しかし、今回は時間内に42.195kmを走り切らないといけません。自分本位では進められないので、プレッシャーがかかりますが1年計画の集大成としたいところです。

いよいよスタートしました。総勢1万人以上の移動なので、スタートラインを割るまでに15分近くかかりました。序盤戦も人ごみに囲まれているので、わたしのペースがつかめませんでした。まだ長い道のり、序盤戦はじっと我慢の時間になります。ランナーが散ってきた5km過ぎに、自分のペースに持ち込めました。10km、15kmと順調に走っていましたが、昼になるにつれて気温があがり、のぼせる感じと頭痛がしてきました。給水所でもらった水で「かぶり水」をして走りました。走り方も崩れてきたせいか、あの痛みが再び現れました。その時実際に足は見ていませんが、爪下血腫を起こしたとすぐにわかりました。ケガをしないで走れるように努力をしてきたつもりでしたが、またやってしてしまったようです。まだ25km近く残っている中で痛みと共存していくのは、絶望的な状況なのに、わたしは「完走する」という希望を絶やさないでいました。29km地点、爪の痛みがこたえる。36km地点、体が悲鳴を上げているのがわかる。それでも走りをやめませんでした。あそこまで走ってみよう、今度はあそこまで…を続けた結果です。

約38km地点で、偶然にも会社の人が走っているわたしを見かけたそうです。とても苦しそうな表情をしていたそうです。「つらいときでも笑顔を」をモットーにやってきたつもりでしたが、それすらもできないくらいの境地でした。でも、その境地を越えた時に成長することもわかっていました。ここにきて、1月にやった「セーフティースイッチ」を解除しました。この先どうなるかわからない。けど、今までやってきたことを信じて残りの2kmを走りました。わたしのやってきたことはまちがいじゃない!さあ、新しい世界の扉を開いてみよう!信じろ!怖くはないはず!自分自身を鼓舞しました。そして…

制限時間6時間の中でのギリギリの時間でゴールしました!ゴールしてすぐに座り込み靴下を脱いで親指を見たら、見事に爪下血腫を起こしていました。それを見てからは、まともに歩けませんでした。疲れと頭痛と爪下血腫で体はボロボロでした。しかし新しい世界を見れたことと、制限時間内にゴールできたことで、達成感がいっぱいありました。健常な人でもフルマラソンはあまりしないなか、完全な片麻痺だったわたしがフルマラソンを完走できた。これは大きな自信になりました。

わたしが思う長距離マラソンとは、人生の荒波を乗り越えていることと似ていると思います。マラソンコースでの上り坂などのきついところは、人生の踏ん張りどころと似ています。平坦な道ではない、途中アップダウンのきついところもある。ときには給水所のように休憩・チャージすることも大事。それらを含んでゴールした時は、波乱万丈の人生を勝ち進めた喜びに似ています。このことを、今度は日常生活に活用できます。

執筆者:千葉 豊 執筆者:千葉 豊

1978年、神奈川県生まれ。
大型トラック運転手として充実した生活を送っていたが、34歳で脳梗塞を発症し、片麻痺など後遺症が残る。

リハビリで少しずつ回復し復職に至るも、自身の今後の人生を考えた末、リハビリの可能性を信じ、フルマラソンに未経験ながらチャレンジすることを決意。

2度の大会参加を経て、障がいを抱えながらも挑戦し続けることの意義に目覚め、フルマラソンでの4時間切りを目指して日々トレーニングに励む。

NPO法人「患者スピーカーバンク」など、自身の脳梗塞後遺症体験を語る活動に精力的に従事。

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