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後遺症を自分のパワーの源にする

今ではマラソンをはじめとした新たな挑戦に貪欲な千葉さんですが、これまで多くの葛藤を乗り越えてきました。連載の締めくくりに、心の持ちようや乗り越え方のヒントをまとめてみます。

後遺症をもったひとに伝えたいこと

脳卒中(脳梗塞・脳出血・くも膜下出血)という病気は、命を奪いかねない大病です。発見や処置が遅れたら、本当に命の保証がありません。これは当事者である私が、大いに実感したことです。言い換えれば、麻痺などの後遺症は「生死を戦った勝利の証」と捉えられます。生死をさまよって、タダでそのまま生活に戻れるほど甘くはないようです。しかし戻ってきたからには、後遺症という勝利の証を自慢するくらいでもいいかと思います。

後遺症は恥ずかしくありません。隠そうとすると、余計に変な形で主張してしまいます。それなら表に出した方が、自分自身にストレスがかからないで日々過ごせるように思います。

脳梗塞後遺症に対してどのように向き合っていくか

脳卒中後遺症を持つと、「~ができなくなった」と言う人が非常に多いです。このことで深く傷ついて、心を閉ざしてしまう人も少なくありません。実際、発症初期の私もそうだったと思います。実際、見える景色・話す言葉がめちゃくちゃ、右半身をどうやって動かせばいいかわからない状態で到底平然とはしていられませんでした。しかし、入院中にふと気付きました。動かし方がわからない、失ったではなく「リセットされた」と考えてはどうだろうか。0歳児に戻ったとして、赤ちゃんがどんどん身体の動かし方を覚えて成長していくのと同じと考えてはどうか。ちょうど身辺には姉の子供がいました。その子供の成長と自分のリハビリの進行具合を重ね合わせて、私も「成長」していきました。私は30歳代中盤で発症したので、人生の尺度で見たらこの先数十年この体と付き合わなければいけません。おみくじの凶と一緒でこれ以上は悪くならない、上を向くしか道がないとも思ったのです。

私の周りにいる友人・知人たちは、最初は私のことを「かわいそう」と感じていたように思います。そして腫れ物に触りたくないが如く、去っていった人もいました。でもこうやって努力した結果、かわいそうと思う人はほとんどいなくなり、応援してくれる人が増えました。自分が自分をかわいそうと思っていたらこうやって執筆することもなかったでしょう。この上昇気流にこれからも乗っていこうと思います。

目標や生きがいを持つことと、応援してくれる人の存在

この病気をしてリハビリを進めているうちに、こうなりたいという目標ができたなら、本人はもちろん、まわりにいる人たちもこれを後押ししてください。挫折しそうな時もあるでしょう。あなたの身体を想って「あぶない」「やめたら?」という意見も出てくるかもしれません。こんな時は、自分の想いを試されている、と思うとよいかもしれません。想いが強ければ、試練を克服しようと前を向くことができます。もちろん、やみくもに危険を冒すのではなく、必要ならば周りにサポートしてもらう方法を考えて、克服に努めてください。一例ですが。

ここまでお読みいただいた皆さんご存じのように、私はいきなり走れたわけではありません。無理しないでという言葉、内反尖足による痛みにより、走ることをやめようと思った時がありました。わたしは独り身ということで、身近にサポートしてくれる人はいません。でも、それをカバーする強い想いがありました。同じ脳血管障害で亡くなった母や祖母の後押しがありました。この2人の遺志を引き継いでこの世に戻ってきたからには「そば」より「うどん」の太い人生を歩もうと、リハビリ病院入院中に心を決めていました。その時点で、何度も落ち込むことがあるだろうことも予想していました。

そんな私は、もともと調べることが好きだったので、どうして足が痛くなったのかを調べ始めました。図書館やパソコンで教科書的な文献から最新情報まで、気になることはすぐに調べました。図書館へ行くための道のりや、パソコン操作も立派なリハビリとなりました。そう考えると、生活に無駄な時間がないことに気付いて、一日一日を大切に過ごすことを心がけるようになりました。起きてから食事を摂ること、トイレに行く事、移動、調べ物、入浴。それぞれがリハビリの時間だとすると、生活している時点で、とんでもなくすごいことをしていると思えたのです。

オリジナルリハビリ生活をしている中で、今抱えている悩みに対するヒントが急につながることがあります。それを忘れないように、常に手帳を持って行動するようになりました。気付いたことを記してからすぐに実行、の繰り返しです。痛みがでない足の動き方を研究するため「負荷の少ない歩き」を数キロやっていました。すると歩く度に気付くことがありました。そのうちに歩きの楽しさがわかり、リハビリとしても大きな効果があるノルディックウォーキングもやるようになりました。一つの悩みから、新たに始める分野も生まれていきます。こういう形でやりたいことを増やしてもいいのです!

その後、さらなる高い目標を目指すにあたり、自力だけでは足りないことを受け入れ、走りのプロ・リハビリのプロ・身体つくり(栄養・食事)のプロに協力を仰いだこのB-SUB4 PROJECT。みんなのサポートしてもらい、定期的に施術、指導してもらったことにより、自分だけではできなかった多くの気付きと改善を得ることができ、大きく前に進むことができました。このようにプロに相談することも、いまの自分を受け入れるところからがスタートでした。家族や友人、ときにはその道のプロ、そして同じような病気の経験者と生きがいを共有することが新たな道をひらくことになると思います。

これからのこと

これまでは主に単独で動いていました。しかし、B-SUB4 PROJECTや、患者スピーカーバンクの活動を通じて仲間と活動することでより大きな成果がうみだせることや、多くの人に伝えることができるとわかりました。

私の体験は、脳卒中患者一人のストーリーではありますが、これをヒントにして、同じような病気や経験をされた方の生活向上の糧にしてもらえたら本望です。
この文章を読んでいただいた方の中から、第二のチャレンジャー、第三のチャレンジャーが出てくることを祈りつつ、またそのような方たちとの交流もしていけたらと思いつつ、この執筆を締めくくらせていただきます。お読みいただき、ありがとうございました。

執筆者:千葉 豊 執筆者:千葉 豊

1978年、神奈川県生まれ。
大型トラック運転手として充実した生活を送っていたが、34歳で脳梗塞を発症し、片麻痺など後遺症が残る。

リハビリで少しずつ回復し復職に至るも、自身の今後の人生を考えた末、リハビリの可能性を信じ、フルマラソンに未経験ながらチャレンジすることを決意。

2度の大会参加を経て、障がいを抱えながらも挑戦し続けることの意義に目覚め、フルマラソンでの4時間切りを目指して日々トレーニングに励む。

NPO法人「患者スピーカーバンク」など、自身の脳梗塞後遺症体験を語る活動に精力的に従事。

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